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大須賀淳
2024.11.9 13:44その他ニュース

「資料の展示」だけでは伝わらない

先日、知人のお子さんがちょうど修学旅行で平和記念資料館に行ったそうで、何か感想を言っていたか聞いてみた所「夜にトイレにへ行けなくなる位怖がってた」との事でした。

 

昔より展示がマイルドになったとは言え、初めて触れる10代の子には十二分にショッキングだったようです。

 

私が、展示で一番のモヤモヤを感じたのは、最終エリアにある「核兵器の危険性」というエリアでした。

 

「危険性」という表現は、感情を込めないニュートラルさを意図したのでしょうが、どれほど「危険」であるかは、むしろここまでの展示で嫌というほど認識する事ができます

 

一方、先述の「ニュートラルさ」が、このエリアの説明文に、もどかしさ、煮えきらなさを出してしまっています。

 

「原子爆弾の開発と投下」という説明文を引用してみましょう。


原子爆弾の開発と投下

アメリカは、1942年(昭和17年)6月、後に「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘の原爆製造計画に着手しました。

原爆開発が進むにつれ、日本への使用を検討し、投下目標は都市の規模や爆風で効果的に損害を導えることができる地形などの基準から選びました。

アメリカは原爆投下により戦争を終結させれば、ソ連の勢力拡大も抑えられ、膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えました。

アメリカは、1945年(昭和20年)7月の原爆爆発実験の後、8月6日午前8時15分、世界で初めて広島に原爆を投下しました。さらに、3日後の8月9日午前11時2分、長崎にも原爆を投下しました。


こんなアメリカの利己的な事情で、広島、長崎の数十万もの人が、非道な殺され方をしなければならなかったのか…とやるせなさに苛まれますが、淡々とした記述なので、この前の展示のインパクトで印象が薄れてしまいます。

 

これは、むしろ展示の一番最初付近に置いて、その後に、こんな理不尽な理屈の「帰結した形」を見た方が、「単なる恐怖」だけではない感情に結びつくと思います。

 

また「日本への投下」という説明文は、以下のような内容。


日本への投下

アメリカは原爆の開発が進む中で、日本への使用を検討しました。

1945年(昭和20年)春以降、日本の戦況が圧倒的に不利な中、アメリカには長引く戦争を終結させるための手段として、1945年11月に予定していた日本本土上陸作戦のほか、ソ連への対日参戦の要請、天皇制の存続を保証し降伏を従すこと、原爆の使用などの選択肢がありました。

こうした状況の下、ソ連の対日参戦の前に原爆投下により戦争を終結することができれば、戦後、ソ連の影響力が広がるのを避けられ、また膨大な経費を使った原爆開発を国内向けに正当化できるとも考えました。


 

これも当時の状況を全く把握する事ができず、原爆投下が、全く必要性の無い状況で行われた「虐殺」「人体実験」であったという事の理解には繋がりません。

 

やはり「資料を展示」するだけでは「伝わる」ものは限られるし、原爆の事だけをピックアップしても、原爆の悲惨さは伝わらないと痛感します。

 

この辺りから考えた様々なことも、今夜20時からの配信でもお話できたらと思っています!

 

ご視聴はこちらから!

https://live.nicovideo.jp/watch/lv346231388

大須賀淳

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